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<フライヤー表紙>

デイヴィット・マメット..
ポール・ミラー

市村正親、藤原竜也
東京公演 3/30〜4/9、4/12〜30
大阪公演 5/02〜09、 宮城公演 5/12〜14
名古屋公演 5/19〜21
..東京公演
[世田谷パブリックシアター]2006/04/29

老境にさしかかりつつあるロバート(市村正親)は、俳優になったばかりの若手のジョン(藤原竜也)に自分の経験から役者というモノを教えてゆく。最初は熱心に耳を傾けていたジョンも、いつしか中堅となり、やがて映画の世界へと進出していく。老いてゆくロバートは、自分が思った通りに芝居が出来なくなっていく・・・。
俳優達の日常を切りぬき、繋げられた26話のオムニバス。劇場に生きる、俳優のお話し。

タイトルより、出演者2人に興味があって足を運ぶ。藤原竜也を初めて観たのがこの演目だった。
劇場に生きている役者達の、客席からは見えない日常のお話がいくつもいくつも続いていく。それが楽屋であったり、稽古場(リハ室?)だったり、衣装部屋であったり、緞帳が下がっている舞台の上だったり、演じている時の舞台だったり。こうして場面設定が多い分、衣装数も多く、実に様々なお二人を観る事ができた。楽屋でのラフな格好。稽古場でのジャージ姿。衣装部屋では(中世〜近代にかけた軍隊の格好なのか)かちっと着込んだ白い制服にヘルメット姿。公演中のオペ中のドクターだった事もあったっけ。1本の芝居で、これだけの衣装替えが見れるのってなんかお得。ちょっとミーハーな意見ですが(笑)
お二人は上手い。市村さんも、あの目力や雰囲気から常に固く、気難しい方というイメージがあったけれど、それは私の頭が描いていたイメージだった。コミカルな仕種もとても自然で優しい瞳と柔和な物腰も持つ、非常に人間味の溢れる方でした。だから、生涯役者一本で劇場に生き、そして劇場で一生を終えるであろうロバートの「役者」としての姿が板についていたというか・・・そのものとして私の目には写った。酸いも甘いも、総べてを知った上で現在があるという、深さを感じて観ていた。けれど、若手のジョンを藤原竜也が「演じる」必要性があったかどうか、疑問が多いに残る芝居だった。
『若々しく今後の希望がある力強いジョンと、「老い」に勝てないもどかしさをもつロバート。』
という、ロバートに対しての比較対象だけの為に藤原竜也が呼ばれたという印象しかないんだよね。もちろん、ビックネームの市村さんの相手役に「つり合う」という事で選ばれたのは凄いことだけれど、「藤原竜也」という役者(素材)が生きていない役だったように見えてしまったんだよなぁ。演技がしっかりしている若い俳優であれば、違う方でも良かったんじゃないのかと思って、個人的には消化不良・・・。
ま、これも完全に私の好みの問題。
いつか、お二人それぞれの素材が生かされた本で共演されたら良いのに。



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