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<フライヤー表紙>

エウリピデス   山形治江
蜷川幸雄

藤原竜也、中嶋朋子、北村有起哉、香寿たつき、吉田鋼太郎、瑳川哲朗 他
東京公演 9/06〜10/01 大阪公演 10/06〜16
名古屋公演 10/21〜24
..東京公演
[PARCO劇場]2006/09/20・29

オレステス(藤原竜也)の悲劇の始り、それはアポロンの神託の基、父の遠征中に不倫した母を殺した事。その母は不倫相手と一緒に父をためらうことなく殺してしまったおぞましい女だ。
父の仇討ちを果しながらも、オレステスは復讐の女神達に追い立てられて正気の沙汰を失い、暴れ狂っては泥のように眠り、食事すら採れない状態で6日が過ぎようとしていた。
姉のエレクトラ(中嶋朋子)は必死にオレステスを看病するが、アルゴス人たちによって"母殺し"の罪で処刑方法が決められそうになっていた。
そんな絶望の縁に追いやられた2人の望みは、妹のヘレネ(香寿たつき)の夫・叔父のメネラオス(吉田鋼太郎)だ。オレステスがメネラオスの足にすがり懇願していた所に、祖父のテュンダレオス(瑳川哲朗)がやってくる。かつて仲のよかった祖父と孫もこの事件をきっかけにののしりあい、憎み合っていた。2人の助力が得られず、落胆するオレステス。
そこに唯一の味方であり、母親殺しに手を貸してくれた親友ピュラデス(北村有起哉)が現れ、ただ処刑方法が決るのを待つのではなく、意見を述べる為にオレステスと広場に出向いたのも空しく、死刑が決定してしまった。
その決定に怒り嘆くエレクトラであったが、タダで死ぬ事は選ばなかった。

圧倒されてきた。もう、ホント。凄い。凄すぎる。
ステージ上はいたってシンプル。高い天井にまで続く壁はタイルのように組み上げられた石造りの様相を呈し、そのパーツ1枚のサイズは畳み1枚程度。壁の中央にライティングされていたのは十字架。ただそれだけ。シンプル故の難しさと無限の可能性を秘めたイマジネーションを助けたのは"コロス"と呼ばれる集団だった。十数名が時に1つの意思体となって一斉に語り、時には個々に分かれてそれぞれが語る。もちろん、個々の役者陣の溢れ出るパワーは凄まじく、魂がぶつかりあっているのが手に取って観る事ができる程のモノ。2回しか観て無いけれど、毎回毎回出演者は同じクォリティーで力一杯、舞台上で自分の力を遺憾なく発揮していた。ストーリーがギリシャ悲劇だからなのか、蜷川作品だからかは分らないけれど、真摯でクールな眼差しを持ちながらも、皆熱かった。ブレもなく、アドリブ的な揺れもないにも関わらず3度・4度と「また観たい!!!!」と強く思った舞台は、コレが初めて。「もしかして、コレが本来の芝居なんじゃないか」とすら感じ、自分が近代的な劇場ではなく、満天の星空の下松明を焚かれたコロッセオで芝居を観ていたのではないか、という錯角すら覚える程、演者達から漲るパワーは凄まじかった。
帰宅してからゆっくりと公演パンフに目を通す。今回の登場人物の簡略的な関係図や、役者が今回の芝居に対するコメントが記載されていて、そのコメントと芝居を重ね合わせるとより味わい深いものになる。目が止まったのは蜷川さんのコメントだ。「ギリシャ悲劇をやるのであれば、現地のコロッセオでやると思ってやらなくては」。・・・ズバリ、その通りになっていましたよ、蜷川さん。

始りは生のパーカッション。上手と下手、客席の壁際にセッティングさていたティンパニーやトムトムやタムタム、時にはシンバルとドラが鳴り響く。厳粛で、荘厳。楽器の音が止むと、大地を打つ水の音で会場は包まれる。
エレクトラ(中嶋朋子)はこの音に負けない程の声で嘆く。悲観的で壊れてしまいそうな弱々しさは一切なく、その華奢な体のドコにそんなパワーが秘められているのかと食い入って観てしまう程、凛々しくも力強い。その力強さは客席に訴えかけるような語りだった。
上手には少しくすんだきなり色の布が掛けられたナニカがある。そのナニカは、眠りに落ちていたオレステス(藤原竜也)のベッドだった。飾り気の無い布と木でできた担架のようなベッドから零れ落ちたオレステス。セットらしいセットはこれだけ。
衰弱しきったオレステスはか細く弱々しく、生ける屍と化していたかと思えば、突然暴れ出す。まるで気が触れてしまったかのように目をむき出し、ベッドを投げ、姉を抱き締める手は荒々しく力強い。それまでの虚弱さからは想像も出来ない程の激情した姿から、また正気に戻る。しかも一瞬にしてそれをやってのける藤原竜也。いやぁ〜、やっぱり彼は凄い人です。あのやんちゃフェイスの裏にはしっかりと狂気が隠れている。映画「デスノート」のライトっぷりに繋がる部分がしっかりとあった。
親友ピュラデス(北村有起哉)はこの2人の姉弟を窮地から救う為に、颯爽と現れる。実に軽快で軽やかであったけれど、生死を共にする決意はできていた。それまでの停滞していた重苦しい空気を動かす存在で、どんな時でも前向きに可能性を求めて動く姿はひとすじの希望のようだった。

演者の登場に客席の通路も使い、エンディングでも通路に出てアポロンの言葉に空を見上げる。舞台には出ずっぱりのコロスたちがたたずむ。
ギリシャ時代は神々と人とが共存し、人々は「神の神託」が総べてで、絶対的であった。
「神の神託」を実行し、"母親殺し"と中傷され死刑が確定した姉弟。タダでは死ねないと報復を考え実行に移す人間であったが、アポロンの新たなる神託でその報復の悲劇は止まった。
しかし、報復の螺旋は今もなおこの世界には存在し続いている。その存在を訴えるように流れる国歌・戦争中の軍隊の通信・爆音。そして、象徴とされた3国の国旗と国歌が書かれた紙が宙を舞う。
その宙を見つめるオレステスの瞳からは、物悲しくもやり切れないもどかしさを感じた。ゆったりとした暗転後、明かりがともったステージにはコロスの姿だけがある。この時だけ、私はこのギリシャ悲劇の登場人物全員が現代に現れて嘆き、消えていったように見えた。
いつの時代も、幾年を重ねた歴史であっても人々は変わらない。変わらないからこそ、まだ地上にいるのかもしれない。今の時代も、信じる絶対的なモノが同一であれば文句も言わずにそれに従っていたのかもしれないとすら思う。
脈々と受け継がれているエゴイストな人の血を改めて感じ、そしてそれを伝え表現しようという人の血も改めて実感する。そんな舞台。
カーテンコールで見せる、劇中とはまったく違う中嶋朋子や藤原竜也の笑顔もまた、なんとも言えない味があり、とても素敵なモノだった。
デビュー当時から気になっていた藤原竜也。デビューしてから、もう10年近く経つのかな? それなのに、今回が2度目の観劇。ロミジュリとか観たかった。
彼の良さが一番引き出されるのは古典だと思っている。



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