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<パンフ表紙>

バリー・モロー   鈴木 勝秀

椎名 桔平、橋爪 功、朴 王路美、大森 博史
東京公演 2/3〜19、大阪公演 2/25〜26
名古屋公演 3/2〜3
..東京公演[東京グローブ座]2006/02/07

母親を早くに亡くし、父親を憎むチャーリー(椎名 桔平)は、若き日に家を飛び出したままネット・トレーダーとして一人生きていた。「人は裏切るが、金は裏切らない」という信条を持ち、心を閉ざしてしまったチャーリー。恋人のスザンナ(朴 王路美)はそんな彼をとても心配していた。そんな中、チャーリーの元にブルーナー医師(大森 博史)から父親の死が伝えられ、彼に残された遺産はバラ園と自動車だけだと知った。「ソレ以外の300万ドルの遺産は誰が引き継ぐんだ!! 残された肉親はオレだけだ!!」激情するチャーリーの目の前に、存在すら知らされていない自閉症の兄・レイモンド(橋爪 功)が現れたのだった。
ことごとく父親にあざ笑われていると感じるチャーリーは、遺産を手にいれるために施設から兄を連れ出す。「こんなの誘拐じゃないの!! お金の為にこんな事をするだなんて!!」スザンナは彼の元を去っていった。
金が目的だったチャーリーだったが、旅を続けていくうちに2人の関係が、そしてチャーリー自身が変わって行った・・・。

映画『レインマン』はチャーリーをトムクルーズ 、レイモンドをダスティン・ホフマンが演じ、88年にゴールデングローブ賞・アカデミー主要4部門を総なめにし、日本でもロングランヒットを記録している程の作品。映画自体は移動中のシーンが主だった「ロードムービー」であるが、その根底は全く異なる人生を歩んできた兄弟の出会いを通して、肉親とは何かを考えさせる、全く新しいタイプのホームドラマだった。
その映画『レインマン』が世界初の舞台化である。
演出/脚本の鈴木 勝秀氏は舞台でやれる限界からも「家族愛」をより追求し、現代に違和感ないようにするよう何度も何度も演出・脚本を書き、何度も何度も推敲し、完成したものを本家のMGMに提出し、OKが出てから舞台『レインマン』は出発したそうだ。

舞台の生命とも言える、演出/脚本がものすごく素晴らしかった。正直言って、役者で舞台の善し悪しや評判は決定しがちであり、役者を基準にして「どの芝居を観るか」というチョイスを私達は自然にしていると思う。もちろん、脚本家で作品も選ぶ事はあるけれども、その役者をいかに活かし、いかに相乗効果が狙えるかは演出/脚本にかかっていると私は思っている。
その点、ご存じの通り主演のチャーリー役:椎名 桔平氏と、レイモンド役:橋爪 功氏に間違いはない。チャーリーという、本質はとても純粋だからこそ、少年期に父からの愛を失ったと思う故に心に強靱な鎧をまとってしまった姿は、椎名氏の一見クールでも内面は情熱的な姿と自然になぞらえる事ができたし、レイモンドという、自閉症で外部との交流が苦手(直に触れられるのはもってのほか!!)ゆえにちょっと淡々とたどたどした感じや、家族・特に弟チャーリーへ一途にまでも向けられた愛が、決して枯渇する事のない姿は、橋爪氏の経験や、醸し出す空気と深みがあってこそのモノだったと思う。ソコに、鈴木氏が書いた脚本である。「向かう所 敵 無し」だ。
その脚本には本家映画で印象的(象徴的?)な例のノート等の様々な出来事をチョイスして織り込まれた部分もあれば、さらっと流れていった事柄をより深く追求している部分もあった。ちょっとした息抜きを狙ったウェイトレス(朴 王路美嬢/2役)のキュートなシーンもあってメリハリがあり、緊張ばかりする時間が流れていくという事がなかった。更に映画と大きく違う部分は「レイモンドは自分が施設に行った理由を理解している」し「チャーリーは身体中に大火傷を負っている」。この二つは2人の間の、切っても切れない関係に大きな影響があり、コレが2人の人生の大きなポイントでもあった。
個人的に嬉しかったのは、チャーリーとレイモンドの「その後」を描き、2人の「家族愛」は絶対で、更には「家族の広がり」を付け加え、今後の「未来ある家族」の姿を印象ズけた事だ。その脚本に、身体ごと、心ごとぶつかっていく椎名氏のチャーリーと橋爪氏のレイモンドの姿に「もう一回観たい!!」って、すっっごく思った。
だって、2人とも凄く上手いんだモン〜〜〜〜〜〜(感涙×号泣)
お互いがソノモノだったんだモン〜〜〜〜〜〜(感涙×号泣)
ステージ上はとてもシンプルなデザインの、ちょっと大きな舞台装置が1つ。ぱっとした色はなく、モノトーンでまとめられていた。中心を壁にして2つの場面を作れるように、メリーゴーランドのように回転する。その装置内に置いてあるものは、透明なプラスチックの立方体が数個だけ。これが「イス」や「ベット」という「モノ」に変化する。シンプルさと、観客にイマジネーションを求めるセット。もちろん、ソレが次々に都市を移動してはモーテルに宿泊していく「ロードムービー」的要素を大分助けていたのは間違いないだろう。
それ程力を注がれた演出/脚本、音楽、照明、ステージ構成、役者、どれも総べて素晴らしく、感動して、感激して、涙をだーだーと流しながらスタオベしてきました。

総合的な感想は↑の通りなんですが、どしても詳細に書きたい部分はココから先↓です。
公演も終わったし、ネタバレで。・・・そして長いよ〜(笑)

チャーリーは「父親に愛されてない」と感じているのは映画とも同じ。でも、舞台ではより強い。それはチャーリーが子供の頃、熱湯に漬かる中で、父親が自分を見ている事を覚えていたから大火傷を負わせたのは父親だとずーっっと思っている。家を出て父と顔を合わせずに音信不通でいても、その父が自分を憎むべき証拠とも言える「火傷」の傷跡とずっっと顔を合わせて生きてきたって、もの凄く辛い事だったと思うんだよね。家族の誰にも愛されていないって思って大人になるんだよ。一番安心できて、無償の愛がお互いを繋ぐはずの家族に。そりゃ、心に鎧でも着せないと参っちゃう。必要以上に強がらないと、負けちゃう。(芝居中にその傷跡を観たけれど、特種メイクと分っていてもリアルで痛々しい)。
そんなチャーリーには、子供の頃に頭の中だけに存在している(空想と思っている)友達の「レインマン」がいて、誰にも相談できない事、自分の弱い部分、全部全部、心の中の「レインマン」に打ち明けて、相談して、心の支えにして生きてきた。その位、かけがえのナイ存在だから、自分のハンドルネームは「レインマン」。
レイモンドと旅を続ける中でチャーリーは「レインマン」が「レイモンド」である事を知るんだけど、「頭の中の空想した人物がレイモンドだったんだ」と、少しづつ真実が見えてきた時のチャーリーの表情・雰囲気の変化は見物だった。その鎧を外していく姿は、今でも思い出して泣ける。ここぞとばかりに、チャーリーは自分の弱さをさらけ出して、気持ちをぶちまけるんだよ。
そして、この場面で「火傷」の訳と「なぜ別々に生きてきたか」という真実を、レイモンドの口から聞き、知る事になる。
「(こんな自分だから)両親の役に立ちたくて、大好きなチャーリーの笑顔をもっともっと見たくて、お風呂に入れてあげようとバスにお湯を溜めた。そのお湯を触ったら熱湯で、びっくりしてチャーリーをバスに落としてしまった。泣叫ぶチャーリーの声を聞いて、かけつけた父親は熱湯からチャーリーを救い出し、(僕に向かって)
「お前は弟を殺す気か!!!!!!!!!!」「お前は弟を殺す気か!!!!!!!!!!」「お前は弟を殺す気か!!!!!!!!!!・・・・・。」」(その何日後かに施設に入る事が決る。自閉症者の才能の1つ・数字の記憶能力から判明。)
「施設に向かう日は、部屋からは何も知らないチャーリーが「バイバイ、レインマン!」と笑顔で手を振っていた。父親は自分をきつくきつく抱き締めて「母を愛している チャーリーを愛している お前を愛している」といって泣いていた。それでも僕は泣かなかった。きっと僕の代わりに神様が泣いてくれたんだ。その日は雨が降っていたから。」
レイモンドは自分の身に起きた出来事というよりは、見てきた事実を淡々と告げる。この大きな2つの真実に直面したチャーリーは自分よりもうんと体の小さいレイモンドを後ろからそっと抱き締め、自分が憎まれているのではなく、心から愛されていた事を知るんだよぉ・・・。ココ一番・迫真の橋爪氏と椎名氏。
もう、私、涙だーだーですよ(笑) 
←今書きながらも(笑)

更にストーリーは進み、レイモンドとチャーリーは一緒に生活する事を決める。旅の終着点・チャーリーの家に着く迄のほんの3日間の旅でチャーリーはスザンナに結婚を申し入れて、更に子供も2人欲しいと告げる程、人を信じる気持ちが芽生えたんだけど、スザンナはレイモンドを含めて3人一緒に住む提案に抵抗を感じ、レイモンドはそれを察する。チャーリーもそのレイモンドの気持ちを察して帰らないよう懇願するけれど、それでもレイモンドは施設に帰ってしまう。
その時、レイモンドは自らチャーリーに直に触れるの。2回も。1回目は手。2回目はためらいながらも、チャーリーの髪をくちゃくちゃっと撫でる。そして部屋を出て行って、2人はお別れなんだよぉぉぉ(泣)
でも、舞台ではちゃんと続きがあって、施設に戻ったレイモンドを、チャーリーとスザンナ、そして2人の間に生まれたベビーが訪れるの。
レイモンドが吸い込まれるように、3人に向かって歩いて行く後姿で暗転ですよぉ・・。

切なくない? 愛する故に、別々で生きて行く事を選んだレイモンドの気持ち。スザンナの抵抗を感じる気持ちだって、同じ立場に立ったらそう感じる人多いと思う。いくら愛する人の兄弟であっても、血は繋がってないし、どう接して良いかだって判らないし、顔を合わせている時間が長いのは、チャーリーよりもスザンナなんだし。
そんなレイモンドの、チャーリーの笑顔が大好きで、両親の役に立ちたいって思って、自分が側に居たいという気持ちより、相手の幸せを一番に願うって究極の「家族愛」だよね。こういう相手を思う気持ち、最近持ち合わせている人少なくなったんじゃ無いかな。最近悲惨なニュース多いじゃ無い? 「私がこんなに愛しているのに」みたいな押し付けがましいやつ。とにかく自分の気持ち優先でさって、話しが脱線しましたが(汗)

本公演ならではのエピソード。
今回の『レインマン』は、兄弟を繋ぐスポーツがありました。それは、2人とも父親に教わったというサッカー。所々、サッカーボールがキーポイントのように部屋に転がっていたり、レイモンドがスイカを持って歩くようなネットに入れて随時持ち歩いたりしてました。
チャーリーがレイモンドに「壁相手にパスを出さないで2人でパスしない?」と提案し、2人で向き合って、実際にパスを出し合うっていう所がありました。もちろん、ボールにはどっかに飛んで行かないようにだなんて、ステージとつなぐ紐類はついていません。
最初は10回連続パスを目標として、2人でパスを出す。交互にパスではなく途中の2〜7回はチャーリーがリフティングして、8・10回目をレイモンドで、9回目をチャーリーが蹴り成功。椎名氏のリフティングが上手で、会場も「おぉ〜」と感嘆。
続けて「今度は20回ね」と回数が倍になり、またもやほぼチャーリーがリフティングして、レイモンドにパスを出しましたが、、、、今度はなかなか上手くいかない。
「よし、もう一回!」と何度か続けても、失敗しちゃう。時にはステージ下にボールが転がって行ってしまい、チャーリーが拾いに降りるハプニングもしばしば。
それでもなかなか成功しないので、ついに
椎名氏が「20回やらないと終わらないからねっっっ!!」と橋爪氏に言ってた(笑)
そう言われて橋爪氏も申し訳無さそうに、かなり必死に頷いていらっしゃいました。
無事20回達成した時には会場の拍手もひとしお大きく、ステージ上では2人抱き合うんだけど、アレは達成感からいつもよりガッツリ組み合ってたと思われます(笑)

あ、客席に佐藤浩市氏がいらしてました。



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