ひこにゃんとたくさん遊んでテンションの上がった私。お天気が安定しているうちに彦根城へ。 |
![]() 両脇から枝を伸ばしている木々は樹齢を感じさせながらもとても力強く、自然の森と呼ぶに相応しい。右手には400年祭の赤い旗が等間隔に並び、後ろを振り返れば先程までいた博物館の屋根。この城が完成してから400年の歴史を思い描き、一段また一段と、石を踏み締めて登る。 じきに石垣前に到着。ここは堀切(水のない堀)になっていて、石垣の向かって左側(大手門側)が嘉永年間(1800年代)の修理のときに積まれたもので、右側(上がってきた表門側)は築城当時のものだそうだ。 見比べると、築城当時の石垣の方は石の大きさもばらばらでカット面もいびつゆえ、大きい石の隙間を小さ目の石で埋めている感じ。改修した際の石垣は、大きさがほぼ揃っていて更には石のカット部分が直線できっちり組み上がっている。約200年の間の、技術の発展をも感じ取る事ができる石垣だ。 ![]() 上を見上げる。地上約13m程の高さの所には非常時に落とし橋とされた廊下橋が掛っている。廊下橋の下を通過し、またちょっと石段を登ると「鐘の丸」に到着。時報の鐘が設置されていた跡地で、今は茶屋と広場になっている。時報の鐘の音が城下北側に聞こえづらい為にもう少し登った所に移設された。 廊下橋を渡り、廊下橋を中央として左右対象に建てられている白壁が眩しい重要文化財の「天秤櫓」を潜る。本丸が独立防御できるように建っており、瓦に記された印から長浜城大手門を移築したものとみられている。 |
現在「天秤櫓」は内部が特別公開されており、世界的な衣装デザイナー・ワダエミさんが手掛けた舞台衣装が特別展示されている。 石段を登った突き当たりに赤い傘と「鐘の丸」から移設された「時報鐘」が見えてきたら、お城まであと一息。もう目と鼻の先。 |
![]() 広場は思っていたよりも広く、立派な桜が所々で花を咲かせていた。幹は太く、枝は広い。そして味がある幹の色はエメラルドに近く、日本画によく見受けられるような風合いに「本物だ!」と感動してしまった。 ![]() おぉ〜。内濠から見上げていたお城が目の前に。 お城は頑丈に組まれた石垣の上に鎮座しており、白壁が眩しいシンプルな外観を持つ。きらびやかな装飾はないけれど、屋根は切妻破風(きりづまはふ)、入母屋破風(いりもやはふ)、唐破風(からはふ)、千鳥破風(ちどりはふ)を多彩に組み合わせ、他に類を見ない作りで美しい。 ![]() 玄関で靴を入れるビニールを貰う。廊下の壁には明治時代に撮影された彦根城の写真や、お江戸遠征中の片足立ちひこにゃんの写真が貼り出されていた(笑) 気を引き締めて城内部に続く階段を登ると10帖程度の板張りの部屋が広がる。シャチホコの焼き物と飾り瓦が展示されており、ここから一層に登る階段が伸びている。階段は天守閣特有で傾斜がきつく、踏面の幅も狭い。登りやすい工夫として、踏面はつま先の方が低く、踵の方が若干高い傾斜がついているので落ちはしないだろうけれど、、、ちょっと恐いので手すりに捕まりながら登る。 |
一層は中央の二室を囲うように武者走り(廊下)が設けられ、思っていたよりも広い。 武者窓の横には「鉄砲狭間」「矢狭間」と呼ばれる、敵の来襲時に鉄砲や矢で防戦する為の狭間(B6程度の小窓)があり、緊急時にはこの壁を突き破って使用されるという。外壁からは白壁で塗られ判らないようになっており、内部は板張り仕様になっていた。 武者走りは良い感じの艶とすべすべ感。ついつい、静々と摺り足気味でつま先から着地するように歩いてしまった(笑) ![]() 踏面に傾斜はあるものの、階段自体の急勾配甚だしく、見上げるとこんな感じ。足で登るというよりは、手すりを掴んで腕力で体を手繰り寄せる感じだった。 二層も中央の二室を囲うように武者走り(廊下)が設けられ、室内部には飾り瓦等天守閣にまつわる展示物がガラスケースの中に並べられている。しかし、順路は三層が先なので三層に続く階段へ。 ・・・今迄以上の傾斜で、階段の幅も狭くなります(爆) こちらも手すりを掴んで腕力で体を手繰り寄せて登る。心なしか、登る人と降りる人が互いに十分に間隔を設け、順番を繰り合わせて一歩一歩踏み締めながら階段を昇り降り。やっぱり、皆も内心ドキドキしながら利用されていたようです。 |
![]() 思っていたより広く、こちらも中央に二室が設けられ、その外周部分が武者走り(廊下)。天井はとても高く、通し柱を使っていない構造は、彦根城と江戸城のみだそうな。 壁には「矢狭間」「鉄砲狭間」を完備し、更には二層の千鳥破風の屋根裏を利用して設けた一室(二個の隠し狭間付)に通ずる入口も設置!! 残念ながら隠し部屋には入れないけれど、凄いよなぁ〜。備えあれば憂いなしという事は分っちゃいるものの、戦いの中に生きるってこういう事なのかと、深い感銘を受けた。 ![]() JR彦根駅方面を臨む。天気が良くなかったので山並は霞掛って薄ぼんやりしているけれど、下の方の黄土色の部分が天守閣前広場。マメみたいに見えているのが観光のお客様。 さっき来た順路を戻り、急勾配の階段を降りて無事天守閣前広場に到着。 「着見台」でしばし景色を眺めてから、城の横を通り「黒門」方面に続く石段を降りて行く。 |
![]() 「黒門」はお城の北側に位置しているので石段を降りるにつれ空気はひんやり。石垣に生えている苔はとても厚く、触るとふかふかしていた。 ![]() 「黒門」に続く道で高原のような景色と出くわす。 「ココを馬車や明治時代のクラシックカーが通ったら、さぞかし素敵だろうなぁ〜。」と思い、撮影。左手奥に見える土手は、平行している内濠の石垣に続いているようだ。 |
「黒門」からお城を出て、内濠を越えて名勝「玄宮楽々園」へ。 残念ながら、井伊直弼が生まれた「槻御殿(楽々園)」部分は月曜休館で入れなかったものの、内部で繋がっている為に「玄宮園」から御書院外観だけは眺める事ができた。屋根はこけら葺きで、なんとなく、懐かしさも感じるとても奥ゆかしい作りをしていた。 そして振り返ると・・・・。 |
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背景には彦根山の森と、天守閣。池の水面にはそれらが写り込み、線対称になっている。池と岸には柵もなく、せせこましい規制を感じない開放的な景色。こんなにも素敵な大池泉回遊式の旧大名庭園は、そりゃ名勝にもなりますな。
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「玄宮園」を出ると正面には今朝方見かけた屋形船の「ゆらっと遊覧
彦根城お堀めぐり」発着所があった。まだ最終船の定員には余裕があるとのことだったので、予約。出航迄は約30分程度。 彦根の旅 後編に続く |